« マレーシアン・キッチン | トップページ | すみれvs二郎 ラーメン対決?! »

2007年2月23日 (金)

伯父との別れの後に。。。

 今日は伯父の告別式だった。死とはいつも突然訪れるものであるが、それにしても高血圧等の持病があったわけでもなく、年齢もまだ63歳、これから老後を伯母と楽しく過ごすはずであったわけで、まさに突然死であった。実は今週末から母と一緒に東京の予定で、その時に伯父伯母と会うことになっていた。それがよもやこのような形での再会になろうとは夢にも思っていなかった。伯父は物静かな方だった。それゆえ時折紡ぎ出される言葉の1つ1つがとても重く感じられた。その伯父ももうこの世にはいない。そう、死とは突然訪れるものだった。。。

 それゆえ、我々はいつ今際の際を迎えても後悔しないよう生きていくことが求められているのであろうし、自分にしかない途を懸命に進んでいくべきなのだろう。私は「自分探し」という言葉があまり好きではない。正確に言うならば、20歳を超えた大人が使うべき文言ではないと感じている。さも自分を客観的に観ているようなポジティブな言い回しの文言のように使われてはいるが、よくよく聞いてみると要は自分の経験、すなわち今までの生き方をあたかもリセットするかのような意味あいであり、私には大変無責任な言葉に聞こえてならないのだ。我々の過去は消せない、それゆえそれらを背負って生きていくしかないにも関わらず、なんとも日本人らしい甘えの構造がそこに見え隠れしていることか。。。

 私は大抵、講義の最終回には学生に自分の生き様を話しつつ、上述のようないわゆる「自分にしかない途」を突き進む生き方の貴さを語ることにしている。それはともするとある人にとっては大変辛い生き方なのかもしれない。でも、自分がこの世に生を受けた意味をつかみとるためには「自分にしかない途」をひたすらがむしゃらになってでも進んでいくしかないのだ。この「自分にしかない途」なるものは、決して過去をリセットして見いだせるものではなく、過去(自分の生き様)からの連続線上にあるものだということに少なくとも自分の受け持つ学生達に気づいてもらいたいのだ(さらに言うなら卒業生や後輩達にも是非とも気づいてもらいたい)。

 夢や理想、そして目標をいくら掲げてみても本当の意味での意識がなければ目標など達成することなどできない。私は是非とも大学で学んだ者達(世界中で誰よりも多く学んだ者としてという意味で)には「世界を他人の視点で見る」ことが出来る人として世に出てもらいたいと思っている。世界を自分の視点から見ることはもちろん自分の権利であるけれども、他人の視点で世界を見ると言うことは誰にも出来ることではない。こうした視点を数多くの人々と共有することが、必ずや自分にとって意味のあることなのだと悟る日が来てくれればと願ってやまない。

|

« マレーシアン・キッチン | トップページ | すみれvs二郎 ラーメン対決?! »

「教育」カテゴリの記事

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/123511/14014571

この記事へのトラックバック一覧です: 伯父との別れの後に。。。:

» 生活習慣病に関するサイト情報リンク集 [生活習慣病に関するサイト情報リンク集]
生活習慣病に関するサイトの情報リンク集です。 [続きを読む]

受信: 2007年2月26日 (月) 12時14分

« マレーシアン・キッチン | トップページ | すみれvs二郎 ラーメン対決?! »