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2005年11月 9日 (水)

一面真っ白&教育雑感

DVC00001  札幌は今日、初雪だった!例年より2週間ほど遅いらしい。昨日の天気予報では最初雪と予報していたにも関わらず、途中から雨と変更になり、今朝起きてみると庭の芝生が右の写真のような有様で、全く「予報」以外のなにものでもない。。。ともかく、明日も雪のようなので(明日のフライトは大丈夫かなぁ・・・)、やならければならないことの1つにDVC00002a車の夏タイヤからスタッドレスタイヤへの変更がある。まず、物置の奥深くからスタッドレスタイヤを引っ張り出し来なければならず一苦労。。。そしてタイヤを車に積み込み、ソロリソロリと運転してスタンドでタイヤ交換をしてもらい、空気圧を測ってもらい、夏タイヤを奥深くにしまい込んでようやく終了!こういう仕事が立て込んでいるときに(果たして明日の出張までに間に合うのか?!)、タイヤ交換で午前中がほぼつぶれてしまったのは痛いものがあるが、季節を感じることの出来る恒例行事と考えれば、これもまた悪くはない。ともかく昨年のような大雪にだけはならないことを祈るのみである。

 話は変わって、こういう忙しいときに限って、現実逃避をしたくなるような魅力的なDVDが届いた。それは「齋藤秀雄 没後30年 証言ドキュメント+特別演奏会」。hideo_saito 戦後日本のクラシック音楽界に教育者として大きな功績を遺した齋藤秀雄。彼の生い立ちや音楽家としての歴史などを綴ったドキュメンタリーと、2004年のサイトウ・キネン・オーケストラの2つの演奏会(ベルリン&松本)を収録したものだ。齋藤秀雄が直接語る彼の教育観を初めて耳にしたが、なるほど、と肯けるものが幾つかあった。 そのひとつが「教育とは植物を育てるようなものだ」との一言。この言わんとするところは、水と肥料と太陽の熱を加えると植物は成長する。ただどういう時期に肥料をやるか、熱がいるか、というのは種によって皆違う。無駄になるからってやらないと結局その植物は育たない。教えるときには無駄になる、無駄にならないということを考えてはならない、ということだ。歴史を振り返ってみると教育学の始りでも「教育は植物を育てるようなもの」と言われていたがそれと齋藤秀雄のそれとは意味が違う。教育学のそれは、良い肥料を与えれば、「必ず」植物は良く育つ、すなわち、良い教育を与えれば必ず良い人物になる、という考えであった。しかし、齋藤秀雄のそれは、良い肥料を10やったところで植物が全部吸い上げるわけではない、吸い上げるのはそのうちの何分の一、だから教える側が100やって生徒が10とってくれたら、教える側は本当によろこばなければならない、というスタンス。教える側は常にこの思い、どんな生徒をも見捨てないという思いを忘れてはならないと思う。

 こんなことをDVDを見て感じていると、教育界のあるニュースが飛び込んできた。それは横浜の中学校の校長が修学旅行の引率中に他の教諭と飲酒した、というものだ。この校長、楽天の元副社長で弱冠33歳、横浜市が公募した民間人校長にこの春から採用された人なのだが、人物が人物であるが故に、ニュースは話題性をもって語られていた。そもそも我々の学生時代には、修学旅行等で教職員の飲酒なんてものは公然ととまでは言わなくとも、行われていた。近年は引率中は公務である、とのことから大変厳しくなってきているのだが、何とも本質からズレた観があるのは私だけだろうか?!昨今は、教職員同士でもなかなかうまくコミュニケーションが取れないでいる姿をよく見かける。2泊3日、生徒が寝静まった後、教職員同士の交流を深めようとする中で、缶ビール2杯呑んだことが、こんなに騒がれることなのだろうか?生徒にアルコールを勧めたわけではないのだ。一般教諭から校長に誘いをかけた、とのことなので、教育委員会はそれを窘めるのが校長の役割、呑まずとも教職員との交流は深められる、という一般論を持ち出すのだろうが、その2杯付き合う呑みニュケーションによって、学校に戻った後に、スムーズに学校経営が行われるとすれば、かえって子どもたちにとっても良いことなのではないか?もちろん、規則を知ってて破ったことは許されることではない。子どもに示しがつかない、というのは全く持ってその通りである。しかし、ここで重要なのは、何のために民間から校長を招き寄せたのか、ということである。閉塞感の漂う教育界に風穴を開け、何とかして子どもたちのために良い教育を提供していくためではなかったのか。この校長が処罰を受けることは当然であろうが、単に処罰を与えるだけでは今までと何ら変わらない。この校長が何故、こういう行動を取るに至ったのかを検討し、必要とあらば、現場に即して規則を変更するくらいの意気込みが教育委員会になければ、民間校長の採用は無駄に終わるであろうし、今後優秀な人材が教育界に来てくれることはなくなるだろう。このギスギスした感じが今の日本を端的に表している気がしてならないのは、本当に残念でならない。

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コメント

 torada様、はじめまして。
 突然のコメントで申し訳ございません。
 私は北海道で教員をやっている者であります。
 最近は修学旅行の引率などでも大変厳しく、「飲酒はもってのほか」というのが当たり前のようになってきておりますね。
 教頭に聞くと「生徒に何か起こったときに飲酒していては対応できない」という答えが返ってきましたから、仕方がないのかもしれません。
 また、前校長は「教員は仲良しグループではない」「飲み会は教育に関する情報交換をする場である」、「飲みにケーションは必要ない」、「職員室では私語は慎め」という考えでした。
 いうまでもなく、職員室はおろか学校自体もギスギスしたものになりました。
 それでも「先生達は甘い」といわれる時代ですし、現代社会も不景気でシビアになってきています。
 教育界もシビアに考えなくてはならない時代になってきたのかもしれません。たとえ缶ビール2本でもルール違反で懲戒を受けるのは当然のことかもしれません。
 現代社会はサバイバル社会であることを教えることが子どもたちによい影響を与えるとは決して思えません。
 しかし前校長の「教育は慈善事業ではない」という言葉が頭から離れません。
 現場にいる者の、すこし寂しい現実でした。
 長々したコメントで失礼いたしました。

投稿: 中見盛 | 2005年11月 9日 (水) 22時29分

専門職に就いているわけではないので偉そうなことは言えませんが
土を耕し水をやり、肥料を与え…
毎年の地道な努力がやがて身を結ぶ。
育むとはそういうことではないでしょうか。
かつて日本にもそういった思想が脈々と流れていたと思うのですが、
経済急成長の過程で失ったものがそこにあるのかもしれませんね。

さて、2年ほど前からだいぶ身が軽くなり、
8、9月のサイトウキネンフェスティバルにも足を運べるようになりました。
松本にも馴染みのお店も増えましたので、
来年当たり松本で会えるといいですね。

投稿: まさ | 2005年11月12日 (土) 03時46分

>中見盛さん

 現職教諭からの貴重なご意見、ありがとうございました。
出張中にてご返答が遅れて申し訳ありません。
 確かに、校外活動中の「教育公務員」の飲酒を禁じる、
何かあったときのことを考えて、というのは理に適って
いるかもしれません。ただ、私は一研究者として感じる
のは、教員への制限はどんどん強くなるばかりで、果たして
良い教育が行えるのか、という1点です。個人的には、
教員も生徒も数日間拘束される修学旅行を学校でやることの
意義、を見いだせないでいます。確かに現在の規則では
今回の件は明らかに間違いを犯したことになるでしょうが、
要は、その規則が現実に照らし合わせたときに、合致して
いるのかどうか、ということを問わなければならないと
思っています。

>まさ

 もちろん土を耕し水をやり、肥料を与えることも重要
だけど、植物自身に成長しようとする気概がないと成長
しないのもこれまた事実。現在はむしろその気概の方が
問題かもしれません。

 松本は来年度は少なくとも内田光子のコンサートは
行くつもり!

投稿: torada | 2005年11月13日 (日) 22時33分

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