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2005年9月13日 (火)

夢みたものは。。。(長文)

 今日、さどりょうのお姉様にフジテレビのドラマ「スローダンス」最終話を録画するよう頼まれていたので、今まで1度も見たことがなかったのだが、録画しながら見てみた。初めて見るのが最終話、ということで話はちんぷんかんぷんだったが、深津絵里演じるアパレルに勤務する女性の教育実習の回想シーンを見て、ハッとしたことがあった。彼女は教育実習の最終日、「夢」について語っていたのだが、奇遇にも私もちょうど同じことをしていたからだ。

 私は、高校までピアノで食べていくつもりであった。それまでの生活は音楽中心、もちろん音大に進むつもりであったし、自分の人生はピアノと共にあるのだと疑うことすらなかった。しかし、高3の10月、とある病気が再発し、何とか高校は卒業したものの、その後、手術や治療やらで約2年の入院を余儀なくされた。お陰様で病気は完治したものの、私は大きな代償を払うことになった。手術した部位のため、私は以前のようにはピアノを弾くことの出来ない身体になってしまったのだ。両親には前もって知らされていたものの、それを話すと手術を拒否してしまうのではないか、との危惧から、私には知らされていなかったのだ。

 その事実が医師及び両親から伝えられた日のことは今でも忘れない。人生お先真っ暗とはまさにその時であり、魂が凋れてしまったかのごとく、ただ呆然とした毎日(実際には治療を行っているのであるが)を過ごしていた。また、なまじっか絶対音感があるがゆえ、神経過敏になっているためか、聞こえてくるものが全て音楽に聞こえてきて、その状況に耐えられなかった。その時から私は個室に移り、音という音から遮断された生活を送るようになった。

 こんな状態が約半年ほど続いたのだが、徐々に現実を受け入れることが出来るようになってきて、私はあることに気がついた。それは、自分は今後何をして生きていけば良いのだろう、という大変素朴な疑問だった。それまではピアニストになることを疑わず、他の人生などまるで考えたことなどなかったのだから無理もない。手術が成功したのは良いが、私は自分の今後の人生を考え直さねばならなくなったのだ。。。

 この頃、私は徐々に「音」に対して向き合えるようになってきていた。ピアノが弾けない、という現実を受け入れることが出来てきていたのだろう。そうなると、今まで聴いていない分、無性に音楽を、それもピアノ曲を聴いてみたくなった。そこで、両親に頼んでピアノのCDを病室に持ってきてもらった。一瞬躊躇いもあったが、CDウォークマンのスイッチを入れた。流れてきたのは私がこよなく愛し続けるショパンの作品、私の魂に新たな火が灯った瞬間であった。あぁ、やはり音楽は素晴らしい、でも自分は何でピアノをやっていこうと思ったのだろうか?もちろんピアノを演奏することが好きだ、ということもあるのだが、ピアノを通して何がしたかったのだろう、ということを真剣に考え始めた瞬間であったのだ。

 1つの作品には作曲家の様々な思いが込められている。すなわち、喜怒哀楽、人生そのものが作品には込められている。演奏家はその思いをそれぞれに解釈し、自分の演奏を通して、聴衆にその思いを伝える。これが音楽である。私はピアノを通して、どういう思いを聴衆に伝えたかったのだろうか、ということを真剣に考え始めた。そして、ピアノという手段以外に、この思いを伝えることは出来ないのか、ということもあわせて考えていた。

 私は、生まれながらにして様々な病気を持ち、それまで何とか生きながらえてきた。喜怒哀楽を感じることが出来るのは、生きていてこそ!どんなに辛くとも、生きていなければ辛いという思いさえ出来ない、、、そう、私は、自分のピアノを通して、生きている、それだけでどんなに素晴らしいことか、ということを一人でも多くの人に伝えたかったのではないか、という思いに至った。それならば、何もピアノではなくとも、他の手段もあるはずだ。その手段をみつけることが出来れば、私の夢は諦めたことにはならないのではないか、という思いに駆られた。そうだ、たとえ形を変えたとしても、その先にあるものが変わらなければ、夢をあきらめたことにはならないはず、そう思えた。

 それから先は、新たな形、を探すことに懸命だった。幸運にも自分は入院中の身、時間だけはたっぷりあったのだ。貪るように本を読み、今後の自分の進むべき道を考えた。しかし、その答えは実はとても身近なところにあったのだった。そう、その答えは教育の道に進むことだった。私の父は自閉症やダウン症など障がいのある子どもたちを専門とする教育者だった。そうか、教育という営みは、3Rs等の基礎学力を教えることはもちろんのことであるが、教育を通して人生の意味を伝えていくことが出来るのではないか、と思えた。このとき、私の新たな形はようやく決まり、夢を諦めないですんだのである。

 貪るように読んだ本の中で、印象に残っている一節は、同じく長い闘病生活を送った経験のある遠藤周作によるものである。彼は「生活上の挫折と人生上の挫折は違う」と著作の中で語っていた。なるほど、と思えた。確かに、私はピアノを諦めざるを得なかった点では「生活上の挫折」を味わったが、同じ夢を追い続けていることで「人生上の挫折」には至っていないのだと思えた。むしろ、病気になったことで、他の人には見えなかったり、気づけなかったりすることも、気づくことが出来、それがまた今の人生の糧になっていることは言うまでもない。私が今、social inclusionを研究の中心においているのも、自分の病気がなかったら、果たしてこの重要性に気づけたかは甚だ疑問である。また自分の生と真っ正面から向き合う機会を得られたこと、このことが何よりもかけがえのないものだった。

 前置きが長くなったが、私は、自分の母校(高校)で教育実習をした際、最終日の学活の時間に、別れの挨拶の変わりに、上記の話を自分のクラスである高校2年生にむかってした。この話をすることは、自分の夢の実現の第一歩であった。40人の全員に伝わらなくとも良い、クラスのたった一人であったとしても、何かを感じ取ってくれれば嬉しかった。話をしている間に、茶化す生徒もいたが、大部分は真剣に聞いていてくれた。それだけで私は満足だったが、実習を終え、東京に戻り、平凡な学生生活に戻って数日後、私は十数名の生徒から手紙を受け取った。そこには、彼らなりの精一杯の言葉で、生きていくことの辛さが書かれており、それでもそれを正面から受け止め生きていきたい、旨のことが書かれていた。きちんと、私の思いを受け止めてくれた生徒がいた!涙が自然と溢れてきて止らなかった。ピアノでなくとも、私が新たに選んだ形、教育によって思いを伝えられることを、私の夢がまだつながっていることを教えてくれた生徒達に感謝した。

 とても長い日記になってしまったが、ドラマを見ながら、ふと自分のことを思い出してしまった。なお、このドラマでは、深津絵里演じる女は教育実習を担当したクラスの妻夫木聡演じる男とくっつくのであるが、私の現実からはそのような甘いストーリーは生まれていないことは皆の知るところである(苦笑)。

 昨今、世知辛い世の中となり、生きていくことが苦しい時代とも言えるかもしれない。でも、「辛いと幸せという字は似ている。十分辛い思いをした人が幸せになれるのです」(by 中島みゆき)という言葉を胸に抱き、毎日を生きていくことが出来れば、と思っている。幸いにも、私には自分の思い・夢を分かち合える友人が多数いる。命のリレーとまで大げさなものではないかもしれないが、私の思いを引き継いでくれる人々と出会えたこと、私は本当に幸せな人生を送っている、と思える今日この頃である。

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コメント

私もそのドラマ見たよ!
同じく今まで見てなかったのでストーリーはちんぷんかんぷんだったけど、なんとなく夢を追いかけて映画を作った妻夫木の行方が気になってしまって最後まで見続けてしまった。
高校のときに私も自分の将来や夢について真剣に考えたので、教育実習の先生だったとらの言葉はきっと多くの生徒の心に響いただろうな思うよ。
たとえ手紙は出さなくてもとらの言葉をずっと覚えている生徒もいると思う。(私はそういうタイプの生徒だったからね^^;)
ものを創っていく中で、時々「実は誰も私がこんなに苦しんでるって知らないんじゃないか」とか思ったりするけど、色んな思いを経て得たことを教育であれ、芸術であれ、人に伝えていけることは明らかに大きな実りだなぁと思う。
報われる瞬間と言うか。
そして色んな経験をして今に至った人たちと知り合えて本当にうれしいと思う。
どういう方法であれ、ものの本質をそれぞれの方法で伝えている人たちに会えると元気になるね。
支離滅裂になってきたけど、これからもがんばりましょう。
(としめくくっておく。)

投稿: よっちゃん | 2005年9月13日 (火) 13時15分

「スローダンス」がきっかけとは何とも
あなたらしくなく、○○家との付き合いが
あってのことと思います。私たちのように
興味関心の幅が広いと、思いがけない経験を
するでしょ?(笑)

でも、遠藤周作さんの
「生活上の挫折と人生上の挫折はちがう」という
言葉、何ともいえなく重くのしかかりますね。
この事実に気がつけると、どれほど
楽か。そして、行きつくのは「生きていてよかった」と
「命あってのなんぼ」ですよね。

もし私が高校生としてあなたの話を聞いていたら、
手紙を書こう書こうと思って書けないでいたでしょう。
よっちゃんも言っている通り、見えない反応が
なくても、ものすごく響いていると思います。

ちなみに、私は教育実習の時に「物も人も見かけで
判断するな」ということを本型の入れ物を使って
伝えたのですが(授業の内容に沿って)、
相手は中学3年生、「飛ばしている」と感じたそうです。
でも、きっとわかってくれた生徒もいると
信じています(自ら慰める)。

真剣に向き合えば、絶対受け止めてくれる人はいると
思います。あなたは見えない影響をその生徒に
与えたのでしょう。

「見えない影響」はたくさんの人に与えていると
思いますが…色々な意味で(苦笑)。

命のリレー、仲間で引き継いでいきましょう。

で、できれば妻夫木君と深津絵里も仲間に入れて~♪
あういう息子がいたら、どうしよう!
結婚はしたくないけど、弟か息子にしたいよね。

ちなみに、あういう娘は想像できます。彼女はきっと
私たちと同じだと思います。(笑)

よっちゃんもToradaもみんな「MINORITY」。
お互い協力し合って支えあって頑張りましょう!

でも、健康にはみなさん、気をつけましょうね。
特にお二人とも、飲みすぎに注意!(ってみーこもね!)

投稿: さどりょう | 2005年9月13日 (火) 15時38分

いつかうちの子供たちにも話してあげたい、話して欲しいよ、toradaの体験。

私もアトピーがひどかった時期はすごく学んだ時期だった。
あの数年間が無ければ気づかなかっただろう事もあったよ。

今は逆に親の立場になって考える事が多い。
自分の子供たちがどんな経験をしてそれに対して
私は何ができるのか。

自分が親に対して思っている尊敬を子供たちは感じるのかなあ、とか。
何しろ子育ち=親育ちですから。
まだまだ成長途中だもんね、みんな。

投稿: yuri | 2005年9月13日 (火) 23時48分

>よっちゃん

 よっちゃんもスローダンス、それも最終回だけ見てたんだ。これまた奇遇だね!本当に何かを産み出す過程は苦しいものがあるけど、達成感もひとしおだよね。本当に周りの友人が、皆それぞれ自分をしっかりと持っていて、かつ自分の道を着実に進んでいっている人達ばかりなので、いつも良い刺激を受けつつ、自分も一歩一歩進むことが出来た、という感じがします。

>さどりょう

 本当に、私もまさかあんなドラマ(といっちゃ失礼だが)で自分の原点を振り返ることになろうとは思わなかったよ(苦笑)。でもさどりょうも既に知っているように深津絵里は個人的には好きです。さどりょうの教育実習の話も、恥ずかしくて表には出せなかったけど、きっと多くの生徒の心をとらえたことと思うよ。だけど、やっぱ皆、教育実習の最後は自分に酔ってしまうのか、こういう話を締めでするのかな?!「見えない影響」ねぇ。。。良い影響を与えることが出来ていれば良いのですが。。。この前のおじ様からのお話からも、やはり我々はマイノリティなのだね、、、←今まで認めたくなかったけど。。。 となると、やはりもっと幸福感を感じないといけないなぁ、という気がしてます。

>yuri

 そうだったね、yuriも最近こそ落ち着いてきているみたいだけど、大変な時期があったんだよね。。。そうそう、人間一生成長です!なにせ生涯学習の時代ですから(笑)。某家庭教師の子にもこの話をしたかったのだが、あの頃は小さすぎたからね。。。大学に受かった暁にでもしてみようかな、と思ってます。

投稿: torada | 2005年9月14日 (水) 04時55分

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